2015年6月24日水曜日

2015年06月23日の速記

【2015年06月23日の速記】

 速記科学研究会配付資料

 石村善左略歴

 大正5年3月9日福岡市生まれ。

 昭和5年6月 福岡商業3年在学中、中根速記会長中根正世の中根式速記講習会受講(3回、正味3時間)以後独習。

 昭和6年2月 第1回九州中等学校速記競技会 個人優勝。

 昭和6年12月28日 第1回全国中根式速記中等学校競技大会 個人2位。

 昭和7年12月28日 第2回全国中根式速記中等学校競技大会 個人2位。

 昭和7年12月28日 第1回全国中根式速記選手権大会優勝(16歳)

 昭和12年~14年 福岡商業学校講師。

 昭和14年~19年 参謀本部専任速記士。*

 昭和15年 法政大学専門部政経部夜間入学。戦時勤務となり、通学不能に陥り中退。

 昭和16年 岩村式カナ速記法、創案者岩村学につき9カ月受講(以後19年8月まで同式を研究、10分間2800字程度を書く)。

 昭和19年8月末 岩村式を単画化し、11月3日国会速記者採用試験を受ける。

 基本文字を全然取りかえ、2カ月間の練習で10分間3500字に達す。

 衆議院は55名の受験者中第2位(10分間3000字~3500字の試験3回の合計ミス72点)、

 貴族院は60名中3位の成績でいずれも合格。

 昭和19年12月 衆議院速記雇となる。

 昭和20年8月15日 終戦の日、衆議院速記技手任官。

 昭和23年 家庭の事情により衆議院退職。家業に専念。

 昭和24年 中根速記協会福岡支部長、中根式(24年式)発表。濃線廃止。

 昭和26年 石村式速記法発表、中根速記協会より離れ独立する。

 (基本文字は数10通りの改訂を経て、今のものに近づいていった。他は中根式を踏襲)

 昭和27年 従来のインツチクキの逆記法を、主として順記または順逆併用に改める(この点も数十通りの案を立つ)カナ文字誘導法の発案。

 昭和30年 石村式、日本速記協会推薦方式に選定さる。

 昭和37年 濁音表示法(小円順記法)の確立(濁音表示法の研究には10年を費やす)

 昭和38年5月 評論社より初出版(石村式速記法 入門編)

 昭和39年7月 カナ文字誘導法に工夫を加え、点線えどりの指導書ジュニアコース1出版。

 昭和39年8月 小学生の速記習得可能テスト(母校の福岡奈良屋小学校3年生の児童30数名に対して行い、成功)地元新聞、ラジオ、テレビ等により報道される。

 昭和40年8月 方式中より縦線追放の大なたをふるい、面目一新、多年の研究目標、懸案事項はほとんど解決を見る。

 平成21年11月28日逝去。

 出典:石村善左著「石村式速記辞典」石村速記研究会本部 昭和41年9月20日発行

 *参謀本部第4部第12課(戦史)

 *陸軍は参謀本部、海軍は軍令部

 中根福岡 創刊号

 昭和24年12月1日発行

 中根速記協会福岡活動開始

 支部移転

 従来、奥谷支部長宅にあったものを新築の石村万盛堂2階を借り受け移転。前支部長にして同社社長石村善右氏の特別のご厚意による。

 同社では他に利用予定のものを支部員一同の熱意を入れ速記国建設のために献げんと決意せられたもの。

 8畳6畳続き一間に6畳の別室一間。

 支部役員改選

 奥谷支部長辞任のため下記のとおり役員改選す

 (支部長)石村善左

 (副支部長)豊島延治

 (委員長)石村善兵衛

 (委 員)藤野広次郎 井上正彦

 (相談役)石村善右 奥谷善蔵

 ニュース

 ○第2回支部総会開催

 去る11月5日支部移転披露を兼ねて開催。今後の活動について種々協議。

 ○高等練習会設置

 毎週火曜、土曜、夕方5時より7時まで

 ○新方式を「中根式(24年式)」と命名

 兼ねて当支部において石村善左氏を中心として中根式の改良研究が進められていたが、本年7月末遂に完成。

 実地使用の結果相当の自信を得たので、本12月を期し天下に公表することとなった。

 名称は中根速記協会長の承認を得て「中根式(24年式)」と命名。

 なお新方式の完成には石村氏が改良研究に着手してよりちょうど10年の歳月を要しているよし。

 基本文字だけでも本年に入って14回の改訂を見ている。

 ○新方式による著書発刊

 「独習 中根式(24年式)速記法 石村善左」*

 謄写版による仮印刷目下作成中、同書は第1巻基礎編、第2巻略字編、第3巻高等編よりなり、

 独習書として完璧なものをつくることになっている。

 仮印刷は1巻誌代50円ぐらいの見込み。

 部数が多くないので予約申し込み者の先着順にお分けすることにしたい。

 品切れの節は本印刷の完成までしばらくお待ち願いたい。

 *「中根式(24年式)講習用テキスト」〔中根福岡 第3号(昭和25年2月)~第13号(昭和26年6月)付録〕仮印刷を確認済み。

 速記研究会報 第2号

 昭和27年1月30日

 中根正世先生からのお便り

 中根正世→石村善左

 (前略)

 あなたのお考えは誠に結構な御事と思っております。

 速記界のみに限ったことではなく、

 あなたのような人が1人でも多ければ多いほど世の中は新しい進歩発展するものと考えております。(後略)

 昭和26年10月10日

 中根正世→石村善兵衛

 (前略)

 善左さんのことはご心配かけてすみません。

 私は善左さんのことについては、私は善左さんの味方となっていつも励ましこそすれ、

 その研究を妨げるようなことは決してしていないのですが、

 私がその前途を阻んでおるように見えるのでしょうか。

 善左さんが東京から帰られた後に手紙が来たときも、

 私は善左さんのような人がおれば速記界のみでなく、

 いかなる方面でもどのくらい進歩してゆくか、

 善左さんのような人が各方面に出ることを望んでおる旨を認めて返事したくらいでした。

 いかなることでも進歩発展のあるのは当たり前のことでありまして、

 私自身もなお研究を続けつつあるものですし、

 何も現状にこだわってはおりませんからご心配のないようにお願いいたします。

 昭和26年11月10日

 兄弟5人福商一家

 長男・石村善右(23期生)石村萬盛堂継承者

 〔明治41年9月3日~昭和54年12月5日〕

 福商を首席で卒業し、長崎高商に無試験推薦だったが進学をあきらめ、

 家業の製菓業石村萬盛堂を継いだ。

 その代わりに弟たちに大学教育を受けさせた。

 弟4人も福商卒または一時在学したことがあり福商一家といわれた。

 業界関係では全国銘菓協会常任理事を務めた。

 若いころから禅と書の修業を積み書家、仙崖研究家としても知られた。

 仙崖の名をつけた菓子を作ったり、

 仙崖和尚文化保存会を設立して仙崖和尚の顕彰に努めた。

 二男・石村善左(30期生)石村式速記法開発者

 〔大正5年3月9日~平成21年11月28日〕

 三男・石村善兵衛/暢五郎(33期生)元日本大学教授、元福商会東京支部長

 〔大正7年~平成13年12月24日〕

 昭和10年8月24日 第5回全国中根式速記中等学校競技大会優勝。

 四男・石村善助(39期生)福中転校 元東京都立大教授

 〔大正13年9月14日~平成18年7月30日〕

 昭和10年8月26日 文部大臣室で松田文部大臣に速記の実演。(11歳)

 ○日本の法学者。東京都立大学名誉教授。専門は民法、法社会学。比較法修士、法学博士。

 ○少年時代は中根式速記の俊英として全国に知られる。

 ○福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、

 福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。

 五男・石村善治(41期生)福中転校 元長崎県立大学学長、元福岡大学副学長

 〔昭和2年2月~〕

 昭和10年8月26日 文部大臣室で松田文部大臣に速記の実演。(9歳)

0 件のコメント:

コメントを投稿