2010年1月5日火曜日

兄弟5人

兄弟5人福商一家

長男・石村善右(23回生)

 福商を首席で卒業し、長崎高商に無試験推薦だったが進学をあきらめ、家業の製菓業石村萬盛堂を継いだ。その代わりに弟たちに大学教育を受けさせた。弟4人も福商卒または一時在学したことがあり福商一家といわれた。業界関係では全国銘菓協会常任理事を務めた。若いころから禅と書の修業を積み書家、仙崖研究家としても知られた。仙崖の名をつけた菓子を作ったり、仙崖和尚文化保存会を設立して仙崖和尚の顕彰に努めた。

石村兄弟
長男・石村善右(23回生) 石村萬盛堂継承者
二男・石村善左(30回生) 石村式速記法開発者
三男・石村暢五郎(33回生) 元日本大学教授、元福商会東京支部長
四男・石村善助(39回生)・・・福中転校 元東京都立大教授
○(いしむら ぜんすけ、大正13年1924年9月14日―2006年7月30日)
○日本の法学者。東京都立大学名誉教授。専門は民法、法社会学。比較法修士、法学博士。
○少年時代は中根式速記の俊英として全国に知られる。
○1924年9月14日福岡県福岡市に生まれる。
○福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。
○1943年10月 東京帝国大学法学部政治学科入学。
○1946年9月 東京帝国大学法学部政治学科卒業。
○1947年4月 東京帝国大学法学部助手。
○1950年4月 東京都立大学人文学部専任講師。
○1954年10月 東京都立大学人文学部助教授。
○1957年4月 東京都立大学法経学部助教授。
○1959年4月 東京都立大学法経学部教授。
○1961年7月 法学博士(東京大学。学位論文「鉱業権の研究」)。
○1962年9月 シカゴ大学ロー・スクールに留学(1963年12月まで)。
○1964年3月 比較法修士(M.Comp.L.)(シカゴ大学ロー・スクール)。
○1964年8月 カリフォルニア大学バークレー「法と社会」研究センターおよびコロンビア大学社会学部滞在(1965年8月まで)。
○1966年4月 東京都立大学法学部教授。
○1970年9月 第七回「国際社会学会」(ブルガリア・ヴァルナ市)出席およびコーネル大学滞在(1971年8月まで)。
○1979年10月 カリフォルニア大学バークレー「法と社会」研究センター滞在(1980年7月まで)。
○1985年3月 東京都立大学退職。
○1985年4月 専修大学法学部教授。
○1985年6月 東京都立大学名誉教授。
○1991年4月 専修大学大学院法学研究科長(1993年3月まで)。
○1995年3月 専修大学法学部教授定年退職。
○1995年8月 第31回国際・法社会学学術大会(東京大学)。
[The Annual Meeting of Research Committee on Sociology of Law, International Sociological Association for the year of 1995(ISA RCSL95)] 実行委員長。
○2003年4月 勲三等瑞宝章受章。
○2006年7月30日 東京都内の病院で逝去。

○ 『山村の構造(古島敏雄編)』(日本評論社、1949年)。
○ 『鉱業自営主業と斥先掘(法学理論篇)』(日本評論社、1953年)。
○ 『租鉱権(法学理論篇)』(日本評論社、1957年)。
○ 『日本の農村(渡辺洋三、潮見俊隆、中尾英俊、大島太郎と共著)』(岩波書店、1957年)。
○ La Communauté Rural au Japon, Bulletin de la Franco-Japonaise, Nouvelle Serie, Tome Ⅶ, Nos. 2-3, traduit Paul Anouilh, Presses Universitaires de France.(1957)。
○ 『鉱業権の研究』(勁草書房、1960年)。
○ 『民法(上)(内山尚三篇)』(法政大学出版局、1963年)。
○ 『現代のプロフェッション』(至誠堂、1969年)。
○ 『社会福祉・老人福祉および児童福祉に関する研究』(東京都立大学都市研究委員会研究報告8、1971年 )。
○ 『都市における法的紛争とその解決状況(1)-消費者信用と督促手続(五十部豊久と共著)』(東京都立大学都市研究委員会研究報告73、1976年)。
○ 『わが国における建築法制の歴史的展開(一)』(東京都立大学都市研究委員会研究報告80、1976年)。
○ 『法社会学教材(六本佳平と共編)』(東京大学出版会、1976年)。
○ 『現代日本人の法意識(日本文化会議編)』(第一法規、1982年)。
○ 『法社会学序説』(岩波書店、1983年)。
○ 『責任と罪の意識構造(所一彦、 西村春夫と共著)』(多賀出版、1986年)。
○ 『法情報学要論(良永和隆、日高義博、井上大と共著)』(専修大学出版局、1991年)。
○ 「婚姻の時および所-婚姻届についての実証的研究」( 法律時報二一巻三号、1949年)。
○ 「牧野の法社会学的研究」(『近藤康男編 牧野の研究』 東京大学出版会、1959年)。
○ 「法人有林野」(『川島武宜、潮見俊隆、渡辺洋三 編 入会権の解体・第一巻』 岩波書店、1959年)。
○ 「内縁解消と財産分与」(『中川善之助教授還暦記念 家族法大系Ⅱ婚姻』 有斐閣、1959年)。
○ 「『固有の法社会学』の領域について(一)(二)」(東京都立大学・法学会雑誌七巻一号・八巻一号、1966―1967)。
○ 「裁判過程の研究」(『碧海純一編 現代法学の方法』岩波講座現代法 15 岩波書店、1967年)。
○ 「ティマーシェフ、アメリカの法社会学 他」(『(川島武宜編 法社会学講座』 岩波書店、1972年)。
○ 「世界の法社会学」(千葉正士と共編 法律時報 連載、1967―1986年)。
○ 「法社会学」(『法学セミナー増刊「法学入門」』 日本評論社、1984年)。
○ 「法社会学の対象」(専修大学法学研究所所報 潤・、1989年)。
○ 「法学基礎教育における実験」(法律時報六五巻一一号、1993年)。
○ ティマーシェフ『法社会学』(川島武宜、早川武夫と共訳)(東京大学出版会、1968年)。
○ ダネルスキー『国民審査-日本における最高裁判所と国民の間に関する』(『(川島武宜編 法社会学講座』 岩波書店、1972年)。
○ フリードマン『法と社会』(至誠堂、1980年)。
○ 「都下山村自治の実態調査報告書-西多摩郡檜原村について」(東京都総務局総務部企画課、1957年)。
○ 「責任と罰に関する日米比較文化的研究(責任研究会)」(日本学術振興会、1982年)。
○ 「アメリカ法社会学の脈動」(川島武宜と対談)(法律時報、1964年)。
○ 「弁護士のプロフェッション性をめぐって」(法律新聞、1978年)。
○ 「Public profession of law.」(ジュリスト、1985年)。
○ 「『法』の社会制御モデルについて」(川島法社会学を語る)(法律時報、1993年)。
○ 「旅の日の先生(川島武宜先生を偲ぶ)」 (同編集委員会)(クレイム研究、1994年)。
○ Empirical Jurisprudence in Japan, in Glendon Schubert and David J. Danelski (eds.), Comparative Judicial Behavior,' Oxford University Press.(1969)。
○ Public Attitude toward the Supreme Court of Japan, A Paper presented to the World Congress of Sociology, International Sociological Association, Research Committee on the Sociology of Law, Toronto, Canada.(1974)。
○ Lawyer's Role in the Judicial Process, A Paper presented to the International Sociological Association, Research Committee on the Sociology of Law, Symposium on Theory in the Sociology of Law, Tokyo and Hakone, September, 1975 .(1975)。
○ Success of failure of Social Control through Law in post-war Japan. in “Laws and Rights” Proceedings of the International Congress of Sociology of Law for the Ninth Centenary of the University of Bologna. ed. by Vincenzo Ferrari. (Milano, Italy) (1991) 203-218.(1991)。
○ 『法社会学コロキウム 石村善助先生古稀記念論文集』(同編集委員会。
○ 宮澤節生、神長百合子 編集代表)(日本評論社、1996年)。
○ 専修法学論集 第63号 石村善助教授退職記念号 1995年3月 ISSN:0386-5800。
○ 上掲 法社会学コロキウム ISBN-10:4535510512 ISBN-13:978-4535510517。
○ 法社会学とともに五十年 石村善助 - 「法社会学の出発(たびだち):日本法社会学学会」
○ 福商の歴史 兄弟5人福商一家 - 「社団法人 福商会|福商会報WEB版」
○ 速記普及と合理的経営について -友野先生の“大臣と少年速記”をめぐって- 「中根式速記協会機関紙:速記時代」
○ 2003年度 学会表彰(受賞)の報告 - 「東京都立大学」
○ 石村善助元法学部教授に勲三等瑞宝章 春の叙勲 - 「専修大学 ニュース専修 2003年07月号」

五男・石村善治(41回生)・・・福中転校 元長崎県立大学学長、元福岡大学副学長

「自由」の保障崩壊過程に

 県立大学長 石村善治氏(憲法学者)

 県立大は、今春の卒業・入学式の際、県の再三の要請を断る形で国旗を掲揚しなかった。石村氏は「教育・研究の理念・目標を国家ないし国家思想に限定する可能性がある」などと説明した。入学式後、県議会文教委員会が「調査」のため同大を訪問するなど波紋を呼んだ。

 「憲法状況」という言葉で、全般的な今の流れを考えると、現状は憲法の崩壊過程にあると思う。近代憲法の万国共通の基本原理に、思想、良心、言論などの自由がある。日本国憲法では今、それらが溶解していっているように見える。
 明治憲法は立憲主義をうたってはいたが、人権は極めて制限された内容で、その意味で「外見的立憲主義」だった。日本が西欧と同レベルの近代憲法を得たのは、日本国憲法が初めて。そのさまざまな「自由」を保障した憲法が、法律によって壊されている。

 昨年、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法、国旗国歌法、通信傍受法、改正住民基本台帳法などが相次いで成立した。これはすべて、近代憲法の基本原理である「自由」のいずれかと対立してしまう性質の法律だ。

 今年は国会が憲法調査会を設置し、改憲が議論されている。さらには、森首相は「神の国」発言に加え、教育基本法の改正までも公言している。憲法崩壊の流れは、もう止まらないのではないかとさえ思う。

 危険だと思うのは、これらの動きに反応せず、何となくながめてしまっている大多数の国民の姿だ。社会状況からも、同様の傾向を感じる。

 例えば、今の日本は経済状況が悪く、失業も多い。憲法は勤労者の団結権とスト権を保障しているが、これだけ皆が苦しんでいるのに、労働者の主張や行動がうねりにならない。

 ストをやる時代ではない、あるいは、そんなことをやっている場合ではない―ということなのかもしれない。が、そんな感覚は多分、日本人ぐらいだろう。

 ヨーロッパやアジアでは、今でも大規模でしかも激しいストは普通に起きる。リストラが続けば、職業人が怒るのは当然のはずだ。また、それができる自由のある社会でなければならないのではないか。

 先日、インターネットでドイツの警察官による労組のホームページを見つけた。スローガンの一つに「職業人として」とあるのを読んで、うなった。団結する理由が、職業上の誇りにかけて良心を守るためなのだという。国が何と言おうと「良心の自由」が勝るという考えが、警察官にまでも浸透している。

 「長いものにはまかれろ」の風潮が恐ろしい。憲法が骨抜きにされ、国家がどんどん幅を利かせている。大声での議論がはばかられる雰囲気、反抗するのに覚悟を要する社会は、異常だ。それぞれが個人としての誇りを持って、自らを主張しないと、憲法でいう「自由」も生きてこない。憲法の崩壊と、今の日本人のおとなしさは、決して無関係のものではない思う。

住民基本台帳ネットワーク差し止め等請求事件

第一回口頭弁論 意見陳述

2003年3月14日 福岡地方裁判所301号法廷


               石村善治(福岡大学名誉教授)

一 私は、1927年福岡市に生まれましたが、終戦のとき旧制福岡高等学校文科2年生でした。
 兵役には服しませんでしたが、戦争と戦後の差を明瞭に知っている世代に属する者の一人です。
 とくに、戦争中の思想の自由、言論の自由を奪われていた時代の雰囲気を青少年時代に身をもって体験した者の一人です。
 「自由」と「自治」を校歌や寮歌に歌い、比較的自由な雰囲気をもっていたと思われる旧制高校でも、すでに歌集・寮歌集の中の「自治」と「自由」の文字は「伏せ字」でしか印刷できなかった時代でした。
 漢文の教科書の孟子の中の「易世革命」の章は「伏せ字」のものでした。すべてが、戦争と天皇のためのものであり、一切は「監視」の目の中に、誰かは明らかではないにせよ、誰かに、どこかで、「監視」されている社会であったといってまちがいないでしょう。そのような時代から終戦を迎え、日本国憲法の平和と民主主義と人権の時代を迎えました。
 言論の自由、批判の自由の時代を迎えました。
 私は、大学卒業後研究者の道を選ぼうと決心したときに、日本の戦争の時代、言論と思想の自由を圧殺された時代を再びくり返してはならないという思いから、憲法学、とくに言論・出版の自由の研究を選びました。
 そして、とくに近代ドイツにおける言論の自由、その挫折と崩壊の歴史について研究をはじめました。
 その中で、戦後西ドイツにおける「プライバシー保護」「データ保護」の制度と運用の実態を知るようになりました。
 1975年6月、雑誌「ジュリスト」に「西ドイツにおけるデータ保護法制-その実情と問題点-」と題する論文を発表しました。当時すでに、西ドイツヘッセン州では、「データ保護法」が制定され、そこでは、いわゆる「情報に対する自己コントロール権」が保障され、データ保護のための「オンブズマン。第三者監視機関」が設けられていました。
 私は、この事実を知り、いち早く論文として発表し、同時にこのような「プライバシー保護制度」の日本での実現を望みました。
 1975年のこの論文の冒頭で、私は次のように述べました。
 「西ドイツにおいても、行政や企業のデータ処理にコンピュータを利用する機会がますます増大し、それに対応して、国民の権利、とくにプライバシーを侵害する危険性が深刻に意識されるようになってきた。」と。
 当時の西ドイツでの「コンピュータ利用」の増大に対する警戒心は、かってのナチス時代の「監視システム」の「高度技術化」、「思想と言論の自由の抑圧装置制度」、「監視社会」への再来に対する鋭い警戒心でした。
 この警戒心は、一般ドイツ人の意識・世論としてだけでなく、法律家、とくに裁判官の警戒心でもありました。
 ドイツ連邦共和国憲法裁判所は、1983年12月15日の判決で、国勢調査法から選択された個人データは、統計目的だけでなく、具体的な目的拘束をうけない行政執行のためにも利用することができ、そのことは、市民の自己情報決定権を侵害するとして国勢調査法の条項を憲法違反と判示しました。
 このドイツ連邦共和国憲法裁判所の判決は、私には、きわめてショッキングなものでありました。
 そして、その後、西ドイツでは連邦・州の「データ・オンブズマン」がデータ保護法の改正や、警察・検察・軍事諜報機関などの治安官庁の情報処理や、身分証明書法等について、憲法裁判所判決のいう「目的拘束性」「明確性」「比例性」の原則にしたがって問題点を指摘し、改善を勧告し多くの法令を改正しました。
 日本と同じように戦争下の思想・言論の自由を侵害された西ドイツにおける戦後の対応と日本のそれとは、あまりにもかけ離れたものであることにも気づきました。
 私はその後も、情報公開の研究とならんで、「プライバシー保護」研究と法制化への主張を重ねてきました。

二 それから30年、日本では遅々として、「プライバシー保護法制」、「自己情報コントロール権の確立」、「第三者機関によるプライバシー保護の監視制度」は進まず、かえって、再び「監視社会」の到来を予感させる、いわゆる「住基ネットワーク」の稼働が始まりました。
 私は、「住基ネットワーク」の稼働を迎えて、なんとしても、思想の自由と言論の自由を根底からおびやかす「監視社会」の到来を意味する「住基ネットワーク」の稼働に歯止めをかけねばならないと思い訴訟の提起を決意しました。
 2002年8月5日、改正「住民基本台帳法」が稼働し、「住民票コード(番号)」が一方的に「通知」されました。
 2003年8月には、「住民基本台帳カードの交付を求めることができる」(第30条の44)ことになります。
 この「住民票コード(番号)」は、「地方自治情報センター」に集中・管理され、「マスター・キー」の役割を与えられ、国・都道府県・市町村の行政事務に利用されることになります。
 国の行政事務の利用は最初93事務といっていたものが、264事務に拡大されています。
 交付される「住民基本台帳カード」には、氏名及び住民票コード、その他政令に定める事項が「ICチップ」に記録でき、その容量は8千字分とも、あるいはそれを遥かに超える容量をもっていると云われています。
 このことは、「住民票コード」を、本人の直接の目的のために利用する以外に、将来、それが「何」を、「何のために」、「どれくらい」、「どう」利用し、利用されるのか、また本当に「誰」が欲しがっているのか、はっきりせず、不安がいっぱいというのが実情でしょう。
 このような「コード」の管理・利用の集中化は国乃至自治体の行政の目的にとっては当面「便利」なのかもしれません。しかし、国民や市民にとっては、「ネットワーク」の設置・維持・管理のための自治体の財政負担と対比しても、「メリット」は少ないでしょうし、かえって、「個人情報」の漏えい、プライバシー侵害による危険性の方が多いと感じるのも当然だと云えます。
 それ以上に、「住民票コード」を「マスター・キー」として、一人一人の生活が隅々まで「監視」されるおそれを十分にもっています。
 現に、「住民基本台帳法」第30条の8(都道府県における本人確認情報の利用)の第1項第2号には、都道府県知事は「本人確認情報」を利用することができる場合として、「条例で定める事務を遂行する」を掲げています。
 この条項によれば、都道府県は「警察庁」・「警察」の「事務」のために「条例」を作れば、「住民票コード」を利用できることになります。

三 さらに、「電子政府・電子自治体」を標榜する「e-JAPAN戦略」による「総合行政ネットワーク」(LGWAN)の構築は、「住基ネット」と同じく、国民を管理する道具、自治体を統制する道具になる可能性をもっていることにも目を向けねばなりません。
 最近、とくに都市の繁華街や商店街、コンビニ、空港構内、駅構内、高速道路、幹線道路等、いたるところに「監視カメラ」が備えつけられているのに気づきます。「監視カメラ設置」という「注意書き」があるのもありますが、無いものが多いでしょう。意識して見ると不気味な感じがします。その一つに、いわゆる「Nシステム(自動車ナンバー(N)自動読み取りシステム)」があります。走行してくる車両の監視・記録を警察が行い、車両盗難事件の操作に利用するといっています。また、「バイオ・メトリクス」とよばれる身体・顔・眼球などを微細に測定し、識別できるシステムが開発され、実用されていることが、最近(3.11)のNHKでも放映されました(World Watch)。
 Nシステムを含めて、これらのさまざまな「監視カメラ」が、日本では、誰が、どのような具体的な法的根拠で、どのように行い、どのように利用しているのか知らず、又は知らされていません。
 「監視カメラ」-「住民票コード」-「個人情報の収集」-「個人監視」の構図は「絵空事」ではないでしょう。

四 このような日本の状況は、「住民票コード(番号)」を一方的に1億数千万人の日本国民の一人一人に附番し、それを「マスター・キー」として、国の行政事務、地方自治体の事務に際限なく使用される可能性と生活のすみずみまで「監視」されるおそれを十分にもっています。その結果、政府や権力者にとって都合の悪い人間は排除され、都合のいい人間を利用し、都合のいい人間に作り変えようとすることになりかねません。
 われわれは「人間」としてではなく、勝手に作られた「国益」のための「道具」として扱われ、自由に「もの」を言うことができなくなってはなりません。一人一人が人間として尊重され、自由な意思で生きていける社会こそが私たちの社会のありかたです。
 また、ときはまさにイラク戦争の危機を目の前にしています。私は、戦争への日本政府の軍事荷担、人的・物的徴用・調達・徴兵にとって、この「ネットワーク」が、格好の「武器」になることも明白であると考えています。
 われわれの望む社会は、一人一人が日本国憲法の保障する「個人として尊重され」(第13条)、「思想及び良心の自由」(第19条)が侵されず、「表現の自由」(第21条)が保障された市民生活というべきものでしょう。
 憲法第12条は、宣言します。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と。
 私は、そのための努力の一つとして、ここに、訴訟を提起しました。
 この訴訟によって、われわれが抱く「思想及び良心の自由」「信教の自由」「言論の自由」、さらに「人間の尊厳」そのものが侵されようとしている「不安と危惧」を、断ち切ることを心から望んでいます。
 以上をもって陳述をおわります。


 昭和57年が日本速記百年に当たる。
 ことしは、昭和85年になるので、日本速記128年に当たる。

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