2009年6月16日火曜日

速記を書くことと速記録を作ること

 速記を書くということと、速記録を作るということは、似ているようで全く正反対のことである。
 すなわち、速記を書くということは、書くという作業をできるだけ少なくしようとするものであり、速記録を作るということは、反対に、大量の文字を書こうとするものである。
 速記を学ぼうという人は、たくさん文字を書こうとしようとする人ではない。できるだけ書くことを避けようとする人、できるだけ書かないようにしようとする人が速記を学ぶ人である。書くことを苦とは思わない人は、速記に興味がわかないのである。
 だから、本当は、速記録の作成は、速記に興味のない人、書くことを苦とは思わない人にさせればよい仕事なのである。
 人が3画で書くものを1画で書くことによって、書くという作業を3分の1に軽減しようというのが、速記の発想であり、そういう考え方に立つ人が速記を学ぼうとする人である。
 一方、速記録を書くというのは、大量の文字を書くということであり、全く速記とは矛盾する行為なのである。速記録の作成は、10分間で3200字、1時間だと2万字にも及ぶのである。
 しかし、速記が書けると、大量の文字を書くことも苦ではないことから、速記録の作成は速記が書ける速記者に任せればよいということで、速記者の仕事として任されてきたのである。
 普通の文字で大量の文字を書くことは不可能であり、書く量を最少にすることができる速記者だからこそ、大量に文字を書く速記録の作成ができたのであり、それが速記者の仕事とされてきたのである。
 速記者に速記を書くなと言うのは、便利なものを捨てて不便な生活に戻れと言うことであり、電車で通勤している者に歩いて通勤しろと言うようなものである。全く馬鹿げたことだから、便利な技術は大切に守っていかなければならない。

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