アナログ放送の10年延長を希望
私は、1996年7-12月製造のPanasonic製32型ハイビジョンブラウン管テレビを見ている。
間もなく製造されて14年になろうとしている。
当時は、ハイビジョンテレビがまだ珍しくて、定価は55万円もした。
けちんぼうの私が定価で買うわけがない。
草加の丸井の展示品を22万円で買った。
きょうは久しぶりに有楽町のビックカメラに寄ってきたが、エコポイントの見直しとかで一段と安く売られていた。
私のテレビは、高級品であったこともあってか、まだ一度も故障したことがない。
きのうのフィギュアスケートも、このテレビで見た。
高校野球も相撲もきちんと写る。
とても捨てる気にはなれない。
私としては、アナログ放送の10年延長を希望したい。
同じ放送をアナログとデジタルの両方で流した場合、デジタルだけの場合と比べてどのくらいコストがかかるのだろうか。
コスト面で大して変わらないのであれば、何も強引にアナログ放送を停止することもないと思う。
アナログからデジタルへの移行は、強制ではなくて、自然に任せるべきだと思う。
資源は有限だとか、エコだとか、財政難だとか、国債の増発とかを強調するからには、もう少し物を大切にすべきだと思う。
ワープロの製造販売の全面的な停止は、随分強引だった。
故障していないワープロを全部捨てて、パソコンになった。
ICレコーダーを導入するからということで、録音機とカセットテープを全部捨てた。
新しい議員会館が建ったのは喜ばしいことだが、現議員会館をつぶすのはもったいない気がする。
現議員会館が3つと、新議員会館が3つ、合わせて6つになるから、衆参で仲良く3つずつ分けてはどうかというのが、私の感想だ。
6つの建物の中心は、ちょうど議事堂の中心でもある。
まだ使えるものをばんばんぶっ壊すほど、日本は豊かではない。
衆参の定数を300人、300人の対等の関係にすることによって、二院制の意義が高まり、参議院の存在意義が高まることになると思う。
速記は事務能力を高める
速記を習得することによって、その人の事務能力を極限まで高めることができる。
速記には、その人の事務能力を限界いっぱいまで伸ばす力がある。
世界のトップを行くスポーツ選手は、人間の能力の限界に挑戦している。
普通の人のできないことをハードなトレーニングによって可能にしている。
速記は、手で文字を書くという人間の能力を極限まで高めるものである。
速記は頭の体操である。
歌は心の体操である。
スポーツは体の体操である。
速記者は、すばらしい集中力を持っていて、ひとたび仕事をやり出すと、脇目もふらず、時間を忘れて、夢中で仕事をする。
速記の勉強をしたことのない6級レベルの人に速記を仕込んで、仮に1級に合格させることができるとすれば、間違いなくその人の事務能力は大幅に向上する。
しかし、既に速記を習得し1級にも合格したような人に、さらにムチを入れたとしても、その伸びしろはしれている。
したがって、今までより仕事が速くなったというよりも、今まで以上に時間をかけてハードに仕事をするようになった結果として、今までより早く仕事ができるようになったということではないかと思う。
仕事のスピードとかけた時間
仕事が速くなるとはどういうことか。
今までより少ない時間で同じことができるようになることである。
今まで3時間かかっていた仕事が2時間50分でできるようになることである。
今までよりたくさんの時間をかけて早く仕事を仕上げることを、仕事が速くなったとは言わない。
すなわち、1時間早く出勤したり、お昼休みを取らずにぶっ続けで働いて早く仕事ができたとしても、それを仕事が速くなったとは言わない。
また、踏むべき手順を省略して早くなったとしても、それを仕事が速くなったとは言わない。
踏むべき手順を省略したり、今までより長い時間をかけて仕事の仕上がりが早くなったとしても、それを仕事が速くなったとは言わない。仕事がハードになっただけである。
時間内に片付けなさい、片付かなければ翌日にしなさいと言われて、それを素直に実行したら、超過勤務はゼロになる。
残ってもその日のうちに絶対に仕上げなければならないノルマがあるから、超過勤務になる。そのノルマの達成を翌日でも良いことにすれば、超過勤務は少なくなる。
超過勤務をたくさんすれば、働き者だと評価される反面、金のかかる人だとも評価される。
超過勤務をすることは、余計な経費がかかることでもある。
給与の面から言えば沢山超勤をした方が良いが、経費の面から言えば、超過勤務をしないで翌日回しにした方が良い。
また、長時間になればなるほど、普通の人間は仕事の能率が落ちるので、長い時間働いている人が余計に働いているとは必ずしも言えない。
仕事が速くなったのか、時間を沢山かけるようになったからなのか、熟練の度が増したからなのか、仕事量が減ったからなのか、要領が良くなったからなのか、仕事の速さに対する評価はなかなか難しい。
もともと、仕事が入ると脇目もふらず時間も忘れて仕事をする人が多い。今までも精一杯やってきているので、今以上に飛躍的に仕事が速くなることはないと思う。
音楽に合わせて
フィギュアスケートは、音楽に合わせて氷の上をスケートで舞う。
速記は、音楽あるいは音声に合わせて鉛筆で文字を書く。
カラオケは、音楽に合わせて歌を歌う。
これらには、音楽に合わせて体を動かすという共通点がある。
もう一つ、ノーミスを目指すという意味で共通点がある。
フィギュアスケートは、技術や表現力を競う。ノーミスを目指す。得点を競う。順位を競う。
速記も、ノーミスで記録することを目指す。ミスの少ない人が優勝する。順位を競う。
カラオケも、ノーミスで満点あるいは1位を目指す。すぐに全国ランキングが発表される。その歌を全国で何人歌っていて何番目の成績かがすぐに出る。1000点満点あるいは100点満点で何点かもすぐにわかる。
ノーミス、1位、優勝、金メダルを目指すという意味で共通点がある。
陸上競技も、順位や記録を競う。優劣が明確に数字で出る。
相撲は、勝つか負けるかしかない。しかし、15人と戦って、白星の多さを競う。
得点とか順位とか勝ち負けがわかるというのは、厳しいけれども面白い。
カラオケの場合、機械が審査するといっても、そのソフトを作ったのは音楽の専門家だから、かなり信用できる。
機械には、音声の認識はできても、言葉の意味を認識することまではできない。しかし、大量の言葉に関する情報をコンピューターにインプットすることによって、あたかも機械が言葉の意味まで認識しているかのように見えるだけである。
したがって、発言記録は、必ずその言葉を母国語とする人間の頭を通しながら記録しなければ正確なものにはならないのである。
東京スカイツリー
東京スカイツリーが338メートルになり、東京タワーの333メーターを抜いた。
丸い地球に棘が1つ生えたという感じである。
東京タワーは格好いいけれども、東京スカイツリーは高さばかりであまり格好いいとは思わない。
山のてっぺんに建てたら、低くてすむのにと考えるのは、貧乏人の発想だろうか。
自然の山や谷は、人間が作ったものではないから、どうしようもないが、あんまり人工的に高すぎるものを作ることは、芳しいことではない。
地球の自転に悪い影響があるかもしれない。
ホテルニュージャパンが火災で焼けて、そのあとにPrudential Financialという建物が建っている。
これの最上階に近いところで火が出たとき、東京消防庁はどうするつもりなのだろうか。
ヘリコプターを使って空中から消化剤を撒くつもりなのだろうか。
建築基準法には抵触していないはずだが、超高層ビルがあちこちに建設されて、火災や地震に対する配慮がどこまでされているのか、疑問である。
そんな中、新しい議員会館は、それほどの高さではない。今の議員会館に比べれば、かなり大きいけれども、Prudential Financialや霞が関の新しいビルに比べれば、大したことはない。
老朽化のための建てかえなら、老朽化した建物を壊すのはやむを得ない。しかし、床面積を増やすための建てかえなら、現在の建物の再利用が考えられてもいいのではないかと思う。建築基準法的にも、大した高さではないし、隣接する建物もほかにはないから、問題はないのではないだろうか。
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