2011年5月14日土曜日

速記は先端技術

 速記は先端技術

 速記、録音、録画、文字認識、音声認識、コピー、ファックス、電話、パソコン、プリンター、イヤホン、インターネット、テレビ、新聞、本、照明、シャープペンシル、ボールペン、消しゴム、赤鉛筆、メガネ、紙、時計、シュレッダー、ファイル、ホッチキス、のり、定規、はさみ、ペットボトル、衣服、電車等々、いずれも先端技術であり、便利なものであり、うまく利用していかなければならない。
 電車なんて当たり前だと思っていたけれども、1日、自転車で通勤したら、電車のありがたみがよく分かった。往復90キロの自転車通勤はきつかった。電灯も、節電で消灯して、そのありがたみがよく分かる。動く歩道なんてどうでもいいけれども、動く歩道ができた途端節電で利用中止は、余りにも皮肉である。
 IBMが音声認識ソフト(Via Voice Gold)日本語版を発表したのは1997年のことであり、もう14年も前のことである。
 当時から、発音明瞭なものについてはノーミスに近い認識ができた。
 しかし、便利なものに乗っかるのはいいけれども、やらなければならないこと、省略してはいけないことの手抜きの道具に利用されて肝腎なことがないがしろにされてしまってはいけない。
 速記者の養成や現場の速記をカットしても、速記録作成の後継者が育ち、正確な速記録を作り続けることができるかどうかは、甚だ疑問である。
 速記よりも録音の方が抜けは少ないし正確なことは分かっていても、我々の先輩が「録音は速記の補助である」と主張し続けてきたのは、速記者の養成や現場の速記の大切さをちゃんと理解していたからである。省略してはいけないことと認識することができたからである。
 生で速記したことというのは鮮明に頭に残る。鮮明に頭に残るから正確な記録を作成することができる。
 何でも生の迫力と正確さにはかなわない。テレビで野球を見るよりは、球場に行って野球を見た方がよい。球場ではアップで選手の顔を見ることはできないかもしれないけれども、全体の選手の動きやボールの動きは正確に見ることができる。
 また、球場に行けば、球場入りしてくる選手と直に会ったりサインをもらったりすることもできる。
 「自動車があれば歩く必要はない」は正しい理論である。
 しかし、階段を自動車で上がる人はいないわけだし、トイレに行くのに一々自動車に乗る人はいない。「自動車があっても歩くことは必要である」もまた正しい理論なのである。
 デジタルかアナログかなんて、利用する者にとってはどうでもいいことである。利用する者にとって放送方式はどうでもいいことであり、要はテレビが見られればよいのである。
 同じ放送をデジタルとアナログの2方式で放送することはできないものか。
 腕時計に関して言えば、デジタル表示の時計よりもアナログ表示の時計の方が圧倒的に売れている。それぞれに利点があるので、私は今両方を利用している。利用者の気持ちも考えてほしいものである。

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