2009-07-09 公開と非公開
休みなしに話をした場合、速記録は、10分間で3200字、1時間で2万字近くになりますが、裁判所の場合は、休みなしに話をするわけではありませんから、1時間当たりの字数は少ないかもしれません。
しかし、1時間当たりの音声認識の修正作業の料金が6800円というのは、かなり低いと思います。40年ぐらい前の速記料金と同じです。
人間の能力が買いたたかれています。
人間が人間によってロボットの一種であるかのような扱いを受けています。
そのうち、大学を出ても、一銭にもならない時代が来るかもしれません。
大学を出ても、980円の電卓を負かすことはできませんから。
本来、速記は、技術の正確さを競うべきものであって、料金の低さを競うべきではありません。
速記は、競争入札にはなじまないものです。
今のままでは、優秀な速記者は、もう育ちません。
2万字といえば、400字詰め原稿用紙50枚ということです。
これは、大学生の卒業論文に匹敵するボリュームなのです。
大学生は、卒業論文を、半年、1年かけて書きます。
原稿用紙50枚分の原稿を書いて6800円の評価しかされないということです。それが、良識の府、裁判所の現在の速記に対する評価なのです。
裁判所というと死刑を連想します。怖いところだと思います。かかわりたくはありません。
いまだにサリン事件は解決していません。一体何をしているのでしょうか。
時間がたてばたつほど、記憶や証拠は消えていきます。感情は麻痺します。何も思わなくなってしまいます。遅くなればなるほど厳正な裁判は難しくなるでしょう。
国会は公のことを扱い、裁判所はプライバシーに関することを扱います。
国会の内容が原則公開なのに対して、裁判所の内容は原則非公開です。
この原則非公開の裁判記録を裁判所職員以外の人に流して良いものでしょうか。
以前は、裁判所速記官研修所があって、裁判記録はすべて裁判所職員によって書かれてきましたが、研修所が廃止されて、裁判記録の仕事が外部にも委託されるようになりました。
それも、速記の技術の高さによって業者を選定するのではなくて、競争入札により、入札の値段の低い業者に仕事が流れているのです。
裁判の記録を、裁判所の現役職員以外の人に任せて良いものでしょうか。
これは、裁判員制度についても言えることです。
法律の専門家ではない素人に、裁判を委ねて大丈夫なのかと、多くの人が心配しています。
素人が、自分の仕事を休んで、専門外の裁判の仕事をするなんて、おかしい。
新司法試験制度になって、大量に法曹が育成されているのですから、素人を裁判員にしなくても間に合うのではないかと思いますが、裁判所は一体どうなっているのでしょうか。
入谷の朝顔市では、1鉢2000円という組合の料金がきちんと守られていました。ダンピングを野放しにしていたら、業界全体が成り立たなくなるからです。
2000円が高いか安いかは評価の分かれるところです。しかし、種をまくところから始めて花を咲かせるところまで持っていくのは、大変なことです。
今、朝顔を買いますと、年末まで朝顔の花を楽しむことができます。
直植えができれば、来年以降も楽しめます。
昨日私は1鉢買いましたが、今朝、団十郎を一輪見ることができました。
販売員は、景気が悪いのとテレビ等のPR不足で、朝顔の売れ行きが悪いと言っていました。
売れ残った朝顔を、場所を変えて売るという人と、捨ててしまうという人がいました。
7月9日からは、浅草寺でほおずき市が始まります。
ほおずき市でも、朝顔は売られると思いますが、ほおずき市では、ほおずき以外のものは売らないと言っている人もいました。
本当かどうかは、行ってみればわかると思います。
7月10日に浅草寺にお参りすると、特に御利益が大きいそうです。
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