研究には、課題研究と自由研究がある。
人から課題を与えられて、その課題について研究するのが課題研究である。
自分で何を研究すべきかを考えて、自主的に研究するのが自由研究である。
夏休みに入ると、先生から与えられた課題について研究をする人もあれば、自分で自主的に課題や問題点を見つけて研究する人もいるだろう。
いずれも大切な研究である。
課題研究よりも、むしろ自由研究の方が、世の中の進展、物事の進歩に貢献してきたのではないだろうか。
自由研究は仕事にあらずという考え方は間違っている。
大人になっても、課題を与えられなければ何もしないというのは、問題である。
大人になったら、与えられた課題をこなすだけではなくて、自分でテーマや問題点を見つけて、自主的に研究する姿勢を持ってもらいたいものである。
自分でホームページを立ち上げたりブログを立ち上げたりするのは、自分で自由な研究をしたいという心の芽生えである。自分で考えて何かをするという気持ちを大切にしてもらいたい。
昔から、マイカー、マイホームということがよく言われる。
今は、マイパソコン、マイホームページの時代である。
新しく作成した文章や記事をホームページに掲載することを、記事をアップするとか書き込むとかと言う。編集機能を使ってミスを修正したり削除したりするのは、書き込むとは言わない。質問とか指摘に敏速に答えることも、ホームページを運営する以上、必要である。
速記は、練習、教育、実務、競技、研究の繰り返しである。
教えたこと、教わったことを練習して身に付けて、実務に使い、競技で勝負する。そして、研究したことを、教育、実務に生かしていくということだと思う。
私は、1級を取って、10年実務を経験したところで、教育を始めた。
競技は、専門学校時代からきょうまで続けている。
秋の高速度速記競技会に向けて、がんばりたい。
ことしは、33年連続35回目の出場、15回目の入賞を目指す。
東京速記士会の速記競技会A級の方も、5回目の優勝と30回目の入賞を目指す。
何となくことしは数字的に、節目になりそうだ。
高速度33年連続出場は3分の1世紀連続出場ということであり、節目になる。
高速度35回出場も、節目の数字である。
A級5回目の優勝も、節目と言える。
高速度15回目の入賞、R級・A級合わせて30回目の入賞もそれぞれ節目に当たる。
競技に参加することも、一種の自由研究と言えるのではないだろうか。
多くの人が、先生の後押しもあり1度、2度は出場するのだが、3度、4度とは続かない。これは、課題を与えられないと何もしないという習性から抜け切れていないからではないかと思う。
速記録を作るのに、速記も速記者の養成も全く必要ないというのなら、速記録の作成なんて速記の全然できない人にやってもらえばよいのである。
今は過去の努力の蓄積で何とかなっているが、速記者の養成をサボり続けていれば、必ずいつか何ともならない事態を招くだろう。
私は、速記録を作るためには、速記の学習が必須だという考え方である。
だから、もうおしまいだなんてふてくされることなく、ことしもまじめに速記に取り組みたい。
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